タテハ通信

好きな物があればあるほど人生は楽しい。そんな私の日常を綴っています。

禁断の赤と、カラス色の迷子

小学生以降、母に禁止されている色がありました。それは赤。

赤どころか、暖色系の服を着た記憶はあまりなくて、かろうじて着られたのは、叔母からプレゼントされたピンクのスカートと、祖母が「この子に似合うから、履かせてやりんさいな」と母に言ってくれたオレンジ色のハイソックス。

それも母は渋い顔をしていました。

理由はよく分からないけれど「あなたには明るい色が似合わない」とよく言われていました。

冬でもブルーやグリーンのセーターに紺のスカート、といった寒色系の組み合わせで、着たらゾクッとした事があります。

 

なのに5年ほど前、私のストールを選んでいたとき「この色、あなたに似合うわよ」と母が差し出したのがこれでした。

「えっ?」私は母を二度見。

あんなに、私には赤が似合わないと言っていたのに…。
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鏡に映してみると、なるほど、他のどの色よりも、顔映りが良いように思いました。それに、首周りに鮮やかな赤を置くと、気分も晴れやかになります。

なんだ。似合うじゃん、赤。

似合わないと思い込み、大人になって身に付けても、何となく着心地の悪さを感じていたのですが、ストールなら大丈夫そうです。私は迷わずレジに向かいました。

これは色も着け心地もとても気に入り、何度も洗濯して生地がヨレッとなった今でも使っています。

では、母は何故赤を禁止したのでしょうか…。自分の権威を示す為の、マインドコントロール

その本当の理由は、母が認知症になってしまった今は知るよしもありません。

ただそれは、大切な子供時代に明るい彩りを失った私にとって、大きな損失だった事に他なりません。

 

でも、過去の事に腹を立ててみても仕様がない。それはまだ過去に支配されている事になるから。

と私に言い聞かせて、それなら勇気を出して着ちゃいましょうよ、赤い服。すっかりオ バサンになっちゃったけど、まだ間に合うよね?

カズレーザーみたいに、全身赤くなっても知らないよ。

 

                  *        *       *       *       *

 

洋服の色にまつわる思い出をもう一つ。

私が幼稚園に上がる前だったと思いますが、祖母に連れられて、高校生だった叔母の運動会に行った時の話です。

お昼頃になったら、祖母は「ばあちゃんはお弁当買って来るけぇ、ここで待っときんさいな」と言い、一緒に行った近所の煙草屋さんのおばさんに「この子、見といてな」と、私の事を頼みました。

ところが、祖母はなかなか帰って来ません。しびれを切らせた私は、探しに行こうと歩き出しました。

煙草屋さんは、熱心に競技を観戦中で、私の行動には気付いていない様子。

やがて、お弁当を抱えて帰って来た祖母は、私が居ないので、さぞやビックリしたことでしょう。

青ざめてあちこち探しましたが、私は見つかりません。校舎の中に入って、トイレまで一つずつドアを開けて調べたそうです。

祖母は誘拐の可能性まで考えながら、私の年齢と大まかな特徴を伝えて、迷子のアナウンスをして貰いました。それは、こんな内容でした。

「迷子さんのお知らせです。○○○○子ちゃんという名前の、4歳のお子さんを探しています。服装は、カラス色のコートに水色のズボン…」

本当はカラス色じゃなくて、辛子色。祖母は慌てて訂正に行ったそうです。

「カラス色は黒。居なくなったのは辛子色ですっ!」って。


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推測では、着ていたのはこんなコートだと思います。フェルトで作ってみました。

 

さて、大人達が大騒ぎで探し回っている頃、私は何処に居たかというと、運動会の会場を後にして、トコトコ自宅に帰っていました。

途中で急に悲しくなり、泣きながら歩いていると、不審に思った消防署のおじさん達に呼び止められました。

「お嬢ちゃん、どうしたの?お母さんはどこ?」

「・・・・・」

「お名前は?」

「・・・・・」

泣いているばかりの私に、おじさんは困り果てました。

「じゃあ、お家はどこかな?」

鳥取市○○町○○番地」

他の質問には答えられなかったのに、何故か住所だけは正確に言えたので、おじさんが家まで連れて行って下さり、事なきを得ました。

この話は、《カラス色の迷子》という笑い話として我が家でずっと語られてきましたが、心配して探し回った家族に申し訳なくて、その話題が出る度に身のすくむ思いでした。