タテハ通信

好きな物があればあるほど人生は楽しい。そんな私の日常を綴っています。

ライオンの檻

動物園でライオンの檻に近づくと、ほんの少し緊張する。怖いからではない。昔からライオンが好きで、ゆったりと威厳ある姿を眺めているととても癒される。

実は、幼い頃のある経験がその緊張の原因になっている。


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幼稚園に通っていた頃、我が街鳥取市に移動動物園がやって来た。場所は幼稚園から歩いて10分程の公園。動物を見る為に、そこへ遠足に行く事が決まった。

決まってからというもの、動物好きの私は、大興奮だった。

鳥取市には大きい規模の動物園が無く、多くの動物は私にとって初対面だった。特にライオンは、本の中でしか知らない。あの、大きくて、逞しくて、立派なたてがみのライオンにやっと会える。そう思うと、遠足の日は朝からワクワクドキドキのしっぱなしだった。

 

入り口から既に聞こえてくる見物客の賑やかな声や、動物たちの咆哮、そして匂い。公園に並べられた沢山の檻にはそれぞれ珍しい動物が入っていて、先生に引率されて行儀よく、順番に見て回った。

さて、いよいよライオンの番だ。その一つ手前はオランウータン。でもそれは眼中に無い。

あー、やっとライオンに会えるんだ。夢に見たあのライオンに!

私は期待に胸を弾ませて一歩踏み出す。しかしその途端、急に気分が悪くなってその場にしゃがみ込んだ。目眩がして体が重くなり、立ち上がる事すら出来ない。周りは次第に灰色の世界に変わり、それから真っ暗になった。後ろのみんなは、うずくまった私を追い越してライオンの前で歓声を上げている。耳だけが敏感にそれを捉える。

《行きたい。行って早く見たい。すぐそこなのに…》

焦っても、私の体は動かなかった。

異変を察した先生が、倒れる寸前の私を抱き上げてくれた。私は身動きが出来ないまま、連絡を受けて飛んできた母に、妹用の乳母車に乗せられて家に帰った。

あれほど焦がれていたライオンには、結局チラリとも会う事は出来なかった。

体が回復した頃には、移動動物園はどこかの街へ去った後だった。もう見られないと思うと、寂しさと悔しさだけが残った。

 

動物園のある京都市に住む今、会いたくなればいつでもライオンに会える。でも、ライオンの檻が近づくとあの時のトラウマからか、つい緊張してしまうのだ。


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数日前に、京都市動物園で飼育されていたライオン《ナイル》が25歳10ヶ月の天寿を全うした。人間にすれば100歳以上。

多くの人に愛されたナイルは、年齢を重ねて力は衰えていたけれど、堂々たる風格は変わらなかった。国内の動物園で飼育されていたライオンでは、最高齢だったという。

私が最後に彼を見たのは去年の5月、連休で帰省した息子に誘われて行った時だった。

いい歳した親子が、キリンの前で写真を撮り合ったりするのは気恥ずかしかったが、息子が子供だった頃を思い出して、結構楽しかった。

ふっとその頃の記憶が甦る。あの時は子供を口実にして、本当は私が動物園に行きたかったのかも知れない。

そしてきっと、ドキドキしながら檻の前に立ち、ライオンが「私はずっとここに居るよ。安心して」と目を細めて迎えてくれるのを見たかったのだ。

 

ナイルは、私のかつての満たされなかった心を十分に満たしてくれた。

ありがとうナイル。

どうか安らかに…。