タテハ通信

好きな物があればあるほど人生は楽しい。そんな私の日常を綴っています。

嵐の中の一瞬の晴れ間

今月は私の誕生月で、いつもより特別なのですが、ある事件に関連して、忘れられない月でもあります。

それは、2.26事件。

昭和11年2月26日、青年将校が当時の政府や軍の要人宅を襲撃し殺害するという、歴史を揺るがすクーデターが起きた日です。

二・二六事件 - Wikipedia

私はこの事件について、教科書に書かれている以上の事は知りませんでした。

しかし、もう随分前、渡辺和子さんの講演会に行き、彼女の体験した2.26事件を通して、戦争の傷ましさ、無意味さについて考える機会を得たのです。

その頃は、まだ渡辺和子さんというお名前すら存じ上げず、友達に誘われるままに出かけた講演会でした。 

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい

 

 当時の陸軍教育総監である渡辺錠太郎氏は、大変子煩悩な方でした。家庭を大切にし、娘である和子さんにとても優しく接しておられたそうです。

和子さんはその日の夕方、錠太郎氏に本を読んで貰っていました。大好きなお父さんと過ごす、幸せで暖かなひとときです。

そのような平和な状況に、青年将校が突然ズカズカと上がりこみ、渡辺錠太郎氏に銃を向けました。咄嗟に錠太郎氏は和子さんにテーブルの下に入るように目で合図し、彼女は急いで潜り込みました。

その直後、錠太郎氏は凶弾に倒れたのでした。幼い和子さんは、お父さんの肉片が壁や天井に飛び散るのを目撃されたそうです。

いたいけな子供にとって、目の前で愛する父親の命を突然残酷な方法で奪われたその事件は、どれほど苦痛と恐怖と悲しみを伴う出来事であったか、想像に難くありません。

けれど、彼女はそれを壇上から、穏やかに淡々と話されていました。

 

それからジョークをまじえながら、今どきの大学生について話されたりして、和やかな雰囲気のまま講演会は進行しました。

会の終わり近くに、彼女は教え子からの手紙を紹介されました。

その手紙には、子供が重度の障害を持って生まれ、夫やその両親から「お前がこのような子供を産んだから、家庭が不幸になったのだ」と言われて辛い日々を送っている様子が、面々と綴られていました。

しかし、最後にその方は、「今はこのように辛い日々を送っておりますが、いつかきっと明るい日も来るでしょう。その日が必ず訪れるのだという希望を持ちながら、私は生きていきます」という内容で結ばれていました。

講演会には保育サービスがあったので、幼い子供をお持ちのお母さんたちが大勢みえています。手紙の方に自分を置き換えてか、あちこちですすり泣く声が聞こえていました。勿論私も・・・。

その頃、家人が以前の仕事を辞めて自宅で仕事を始めたばかりで軌道に乗らず、私も辛い日々を送っていました。お金も自由も無く、生活のために、コツコツ貯めた定期預金を取り崩していく…といった、不安定極まりない暮らしです。将来を思うと不安で眠れず、やっと眠れたと思っても、まだ夜も明けないうちに目覚めてしまう。新聞も、大好きな本も、字面を追うだけで、内容はさっぱり頭に入ってきません。

心も体も冷え切って、ああもう私駄目かもね、と毎日ため息をつき自分の無力さを嘆いてばかりいました。

そのような時に、渡辺和子さんのお話の一つ一つは、砂に水が沁み込むように、心に沁み込んでいきました。そして、今でも大切な心の糧になっています。

どのような嵐の中にあっても、一瞬の晴れ間を見つけたら、それを大いに歓び、大切にしたいと思いました。過酷な環境にもめげずに力強く咲いている花、美しい鳥の声、季節の移ろいに色彩を変える山々・・・。

気付けば身近に幾らでも、心を和ませてくれる幸せの種はあるのです。それを見逃さないようにしたいと思いました。

 

その講演会から数日後、朝日新聞に渡辺和子さんの談話が掲載されていました。

あの時お父様を殺した青年将校の一人に、何かの企画で対面した時のお話でした。

「自分は冷静に相手を受けとめているつもりでした。でも、話している時に、コーヒーを飲もうとするのですが、手が震えてどうしても口に運ぶ事ができませんでした」

という内容が、とても印象に残りました。

彼女のように求道者という立場の方でも、頭では相手を許していながら心の痛みは永遠に消えることなく残っているのだなぁ、とその記事を読みながら思いました。