タテハ通信

好きな物があればあるほど人生は楽しい。そんな私の日常を綴っています。

お肉も油も、生きていくためには必要だと痛感した事件

     突然の雪景色ですが、これは事件当時(2012年1月)の写真です。

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1月半ばのある日、母から電話がかかってきました。

「あのね、悪いけど帰ってきてくれないかなぁ」

「えっ、どうして?この前帰ったばかりじゃない」

年末年始に帰省してから、まだ2週間しか経っていません。

「急に体が動かなくなってね」

この前帰省したのは、夏頃から母の関節の具合が悪くなり、お正月を一人で過ごさせるのが心配だったからです。案の定、母は年末から三が日にかけて原因不明の発熱。家にある風邪薬を飲んで何とかしのぎました。

そしてお正月明けに近所の内科の病院に付き添い、熱は風邪ではなく関節の炎症からきている可能性があるという診断でした。専門医に診てもらった方がいいと言われ、すぐに、タクシーで整形外科へ。関節を温めてからヒアルロン酸注射を首・肩・膝に受け、(これは針を関節に刺して、注入する箇所をグリグリ探るというもので、痛そうに顔をしかめていました)抗炎症剤と痛み止めと湿布をもらって帰りました。

その時に、きちんと定期的に通院して治療を受けて薬を飲むよう母に約束してもらい、体調が戻るのを見届けてから、私は京都に帰って来たのです。

 

それなのに、母は薬で熱が下がると、治ったのだと勝手に判断して、治療に行かなかったそうなのです。

正直に言えば、その時は約束を守ってくれなかったという腹立たしさがありました。かと言って放っておくわけにもいかず、3日後に帰ると伝えて受話器を置きました。

でも、弱々しい母の声が耳に残り、もしかしたらとても重篤な状態なのかも、と心配になってこちらから電話をすると・・・出ない!

何回かけても出ない!

えっ?どうして?さっき電話くれたばかりなのに!

不安はつのるばかりです。

家人と相談して、万障繰り合わせ、翌日帰省することに決めました。

その朝電話しても、呼び出し音がむなしく聞こえるばかりで、応答はありません。

折悪しくその日は雪模様。京都市内を出る時はすぐに解ける淡雪だったのに、電車に乗った途端に吹雪になり、ますます私の不安をかき立てます。

 

やがて電車は鳥取駅に到着し、タクシーに飛び乗って実家へ。

ドキドキしながらドアフォンを鳴らすと、暫くして「はーい」と小さな声が聞こえ、心底ほっとしました。私だと分かると「エーッ」と驚いた様子。

ゆっくりと這うようにして出てくる姿が、玄関のすりガラス越しに見えました。返事があってから玄関の鍵が開くまでに5分も掛かりましたが、思ったほど重体ではなさそうです。

どうして電話に出なかったかと訊くと、ゆっくりしか動けないので、ベルが鳴り止むまでに出られなかったとの事でした。母を見てそれは理解出来ました。

本当にゆっくりなのです。体の関節という関節は炎症と痛みで殆ど機能せず、立とうとしても、ぐんにゃりなのです。

翌日、整形外科へ連れて行きました。

雪は一晩にして50cm積もり、歩行困難な病人を連れて家から出るのは大変です。直前に軒下の雪かきをしておいたのですが、また雪はどんどん積もり始めていました。

早く病院に行こうと急かす私に、「きちんとお化粧をしてから行く」という母。まあ、身だしなみに気遣いをするほどなら大丈夫だろう、と苦笑しました。

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病院では車椅子での移動。検査のためにベッドに乗せるのも、看護師さんが数人がかりです。レントゲン写真を見ながらの医師の診断は、関節の軟骨がすり減っている為の炎症と痛みとの事。しかし他には異常が無かったので、その点は安心しました。

翌日は、食事とトイレ以外はベッドで寝ていましたが、次の日からは起き出して、縫い物をしたり、食器を拭いてくれたりと、軽い作業を積極的にするようになりました。

「まだ寝てたらいいわよ」と声をかけると、「このまま寝たきりになるのは嫌だから、起きる!」と強い口調で言いました。

その時、ああ、そうか、このように誰かに100%依存するのを良しとしない母の気概が、ずっと私達家族を支えてくれていたのだなぁと、彼女の横顔を見ながら気付きました。

 

この話にはちょっとした後日談があります。

症状が軽くなるに連れて頭がはっきりしてきたらしく、起きて2日後に「補聴器がない!」と言い出したのです。しかも先月買ったばかりの、20万円もした補聴器なのです。

どこかで落としたのでしょうか。でも、あれからまた雪が随分積もっています。まるで砂の中のダイヤモンド。大雪の中で小さな補聴器を探すのは困難極まりありません。それに、病院の外で落としたのなら、もうこれは諦めるしかありません。

でも一応念の為にと、タクシーを降りて歩いた、家の裏口から玄関までの道のり20mの、雪を掘り返しては手探りで確認。もうダメかな、と思いながら最後にガレージの周りを掘っていた時・・・あった!

格子状の蓋の嵌った浅い側溝の中に、コロンと転がっているのが見えたのです。鉄の蓋が溝に雪が入るのを遮ってくれたのが幸いしました。まさに奇跡!

蓋を開けて冷たい補聴器をつまみ上げ、掌に置いた時、それが母の分身であるような気がして、涙がこぼれました。

そう言えば、この場所でガレージを開けようと私が手を離した瞬間、母は重心を失って転んだのでした。その時に耳から外れて落ちたのでしょう。

一応アルコールで消毒してから、掌で少し温めて母の耳に装着すると、ちゃんと聞こえました。これもまた奇跡!

「寒かったでしょう。可哀想にねー。落としてごめんねー」と補聴器に詫びる母に、笑顔が戻りました。

えーっと、一番頑張ったのは発掘した私なんですけど。せめてねぎらいの言葉などは…?……ま、いいか。

 

長々と書いてしまいましたが、結論を申しますと、母が関節を傷めた原因は、あまり食事を摂らなかったからなのです。血圧がやや高いのを気にする余り、牛肉・豚肉は食べない、脂っこいものは避ける、という生活を長年続けてきました。それに、運動もあまりしなかったようです。年齢のせいもありますが、それが筋肉量の減少や関節の故障を引き起こすという事態に至らしめたのです。

事件の後母は宅配を利用ながら、バランスの取れた食事をきちんと摂るようになってからは、まだ完全ではありませんが、元の生活レベルに近づいて来ました。 

少し前までは、肉や油物は体に悪いから年をとったら極力食べないように、と言わていましたが、近年は、むしろ肉は食べた方が良い、というのが常識になってきました。

母に起きたあの一件を振り返ると、それは真実だと思います。小学校の家庭科でしたか、人が生きていくためには、タンパク質・脂肪・炭水化物が最低限必要な栄養素だと教わりました。

〇〇抜きダイエットという言葉を見聞きする昨今。これは単なる私見ですが、動物性蛋白質も、油も、塩分も糖分も、量を控えればいいだけ。体をちゃんと動かして健康な生活を送る為には、抜いて良いものなど何もないような気がします。

母が身をもって示してくれた教訓を、私は肝に銘じて生きようと思います。