タテハ通信

好きな物があればあるほど人生は楽しい。そんな私の日常を綴っています。

アタフタ介護記 その5 ・『缶入りケーキ』解説編

認知症の母と暮らす私の記録

前回書いた缶入りケーキの件、解決致しました。
母が「この辺に缶に入ったケーキを売っている」と言い張り、こんな場所にケーキなんか売っていないと、強引に散歩から連れ帰った私。

しかし翌日も、「買いに行く」と言って出て行こうとする母に困り果ててしまいました。
しかも、前日とはまた別の場所に売っていると言うのです。
「Kさんの家の隣だった」と言うので「じゃあ訊いてみようよ」と、電話しました。
Kさんは気の置けないご近所さんで、母の病気の事もご存じです。

その夕方彼女はやって来ると「もしかしてこれ?」と、母に円筒型のクッキーの缶を見せました。
「いや、それじゃない。こんな形の缶だった」母は長方形を指で作ります。
「深さは?」
これくらい、と5センチ位の幅を示しました。

ん?これって、もしや…。
私は台所に走り、棚の上に置いてあったこの空き缶を母に見せました。

f:id:kisaragikyo:20171008151321j:image

「ああ、これこれ」
母はホッとした表情。
私とKさんは、同時に「エ〜〜〜ッ⁉️」

それは、私がお土産に買って帰った河道屋の蕎麦ぼうろだったではありませんか。

確かに缶に入ってはいるけれど、ケーキでもないし、近所に売っている筈もない。

ま、深くは追及しないで置きましょ。
近所の人まで巻き込んだ缶入りケーキ事件は、これで一件落着となりました。

早速ネットで注文し、一体何故これがケーキになっちゃったのかという疑問は残したまま、おいしい蕎麦ぼうろをカリカリ頂きました。

f:id:kisaragikyo:20171008152855j:image

3ヶ月の間、鳥取の実家で母を介護していたのですが、明日から1ヶ月、妹が交代してくれる事になりました。

京都では夫が留守番してくれています。
仕事が終わってからの家事は、さぞかし大変だったろうと思います。
少々散らかっていても、文句言ってはいけないね。

私が落ち込まないように毎日のように電話してくれたし。
頑張ってくれた事に、ただ感謝の言葉だけ伝えましょう。
「お土産何がいい?」
間髪入れず夫は言いました。
赤福!京都駅で買ってきて」
「またかい!」
鳥取名物でも京都名物でもないし。

f:id:kisaragikyo:20171008154140j:image

妹はこちらに仕事を持って来るそうです。
大変かも知れないけれど、私もとうに限界を越えています。
後は妹に任せ、暫く充電してきます。

アタフタ介護記 その4・完熟二十世紀梨の味

認知症の母と暮らす私の記録

ご近所さんに、木で熟れた二十世紀梨を頂きました。
まだ、袋に入ったままです。
この方は毎年美味しい梨を下さるので、楽しみにしています。

f:id:kisaragikyo:20170930153014j:image

ぺりぺり〜っと袋を破り、出てきたのは黄色く熟れた特大の梨。

f:id:kisaragikyo:20170930153221j:image

地元ならではの、もぎたて完熟。
こんなの都会のスーパーでは売ってませんよ。

いっただきま〜す。
f:id:kisaragikyo:20170930153540j:image

甘〜い蜜がたっぷりで、果肉が柔らかくジューシー。
「元気出して!」と励まされている気がしました。

この日は散歩の途中、「この辺に缶入りのケーキを売っているはずだよ」と母が言い出してとんでもない方向に行こうとするので、必死に止めました。
普段は弱々しいのに、こういう時は凄い力で振り切ろうとするので、侮れません。

辺りは民家ばかりで、そんなお店はありません。
丁度そこに知り合いの人が通り掛かり、その人からお店が無い事をはっきりと言ってもらいました。
それでも首をかしげて納得いかない様子の母。

今度から散歩のコースを変えなくてはね。

でも美味しい梨で苦労は相殺。
ナシということにしましょうか…。

アタフタ介護記 その3

認知症の母と暮らす私の記録

お盆前に、ある事件が起きました。

「書類袋を持ってきて」と母に言われて、私は別室に置いてある袋を取りに行き、手渡しました。
母は「あれっ?無いな〜。どこに行ったんだろう」と、うろたえた様子。
「何を探してるの?」
「え〜っと、何だったかな〜、何だと思う?」
「知るわけ無いやん!」

とんちんかんな会話が続き、私は袋を取り上げて中に入っている物を全てテーブルの上に
広げました。

そこにあったのは空の封筒ばかり。

なんだこりゃ…。

私が覚えている限りでは、その袋には証書や古い通帳の束、領収書などの書類が入っていた筈なのです。
そして、大切な家と土地の権利書もしまってありました。
他の物はいいとしても、権利書まで無いなんて…。

f:id:kisaragikyo:20170927153553j:image
びっくりして、家中を探し回りましたが、入っていた書類は何一つ出てきません。
さんざん探して疲れはてた私は、「一体どこにやったのよ〜。思い出してよ〜」と、情けなさと腹立たしさから母を問い詰めました。

「あら、権利書って何だっけ?」
どこ吹く風でそう言う母に、無くなった書類の大切さをいくら説明しても分かる筈もありません。

捨てちゃった?それとも泥棒?
行方は分からないけれど、とにかく対策を立てなくては!

ネットで調べると、第三者に権利書が渡ったとしても、それで家や土地を転売できる訳ではなさそうなので、少し安心しました。

しかし私の胸のモヤモヤは消えそうになく、コピーを取りに法務局まで出向きました。

恐る恐る見た家と土地の名義人は母の名前。ホッと胸を撫で下ろしました。
その途端に、どっと汗が噴き出したのを覚えています。

同様の事件は他に何度もあり、その度に心臓が止まりそうな思いをしています。

そう言えば、5月に妹が帰った時、現金とキャッシュカード入っている財布がなくなったと電話がありました。
その時は、母が気紛れに変えた置場所を忘れてしまっただけで、翌日見つかって事なきを得たけれど。

もうこれ以上何も起きないように、ひたすら祈るばかりです。

これは推測ですが、権利書は母が鋏で切って捨てたのではないかと思います。
母は個人情報の漏洩を怖れる余り、自分の名前が付いている物を毎日のようにチョキチョキ切り刻んでゴミ箱に捨てています。
シュレッダーよりも細かく、そうすることに執念を燃やしているかのように。

貰ったばかりの領収書さえも切ってしまうので注意した事があるのですが、一向にやめません。

しかも、同居して母を観察しているうちに、大切な物とそうでない物の順位が逆転しているのが分かりました。
だから切っちゃったのかな〜、大事な物まで。

あ〜あ、大変な事になるもんだ〜。

アタフタ介護記 その2

認知症の母と暮らす私の記録

f:id:kisaragikyo:20170926160355j:image

母が脳神経内科認知症の診断を受けてから私がまずしなければいけなかったのは、要介護認定の申請でした。
今までは要支援1で、介護のサービスを利用した事は皆無でした。今後ケアを受けるに当たり、要支援から要介護に変更すると、例えばヘルパーさんの派遣回数が多くなったり、施設への入所がしやすくなったりします。つまり、より手厚いケアが受けられるのです。

この申請を『変更申請』と言うのだそうです。

その為には幾つかの手続きが必要で、第一段階として、ケアマネージャーさん、介護用品のレンタル会社の方、そして母とその家族である私とで会議が開かれました。
この会議は『サービス担当者会議』と言い、場所は自宅です。

会議と言っても堅苦しいものではなく、母がどの程度の事ができるのか、あるいは何ができなくなったのか調査するもので、質問書を見ながらそれに答えていく、という形式です。

そして本人や私の意見や希望を述べ、ケアマネさんたちがそれを記入していきます。
本人だけに質問すると、出来ない事まで出来ると言ってしまうので、家族が一緒に居て「それは出来ません」とはっきり訂正しなくてはいけません。
f:id:kisaragikyo:20170926160457j:image

その数日後、市から委託された介護認定専門の方がみえて、母の様子を見ながらまた同じような質問をされました。
この調査員は介護施設に所属している方でした。

あと必要なのはかかりつけ医の診断所見で、それは母が通院している近所の内科医にお願いしました。
こちらの医院には、この前受診した脳神経内科からの電子カルテが送信されています。

これらを照らし合わせて会議が開かれ、要介護度を決定するのだそうです。

しかし、その結果が出されるのは1ヶ月後。
認定を待ちながら、何も出来なくなった母との二人暮らしは私には荷が重い。辛すぎます。

それに、体の自由と自信を失ってだんだん籠りがちになっていく母にも、不安を感じていました。
あらゆる事に意欲を無くし、このまま寝たきりになって欲しくはありません。

ここはプロの力をお借りしたいと思う私に反して、ヘルパーさんを雇うのはイヤ!施設の利用はイヤ!と私を困らせる母に辟易する毎日でした。

そんな日々を過ごしている時、施設でボランティア活動をされている近所の方が来られました。
この方は、母の様子を心配して、私が居る間何度も来て下さり、このままでは娘さんが気の毒だ、と母を諭して下さいました。
そしてやっと母の気持ちがほんの少し動き、デイサービスなら行ってみようか、という所まで漕ぎ着けたのです。

ケアマネさんに渡された施設のリストから(膨大な数!)、家から近くて少人数の施設を選び、即決しました。
母の気が変わらないうちに。
とにかく、くずくずしている暇はないんです。

その場で電話してもらい、翌日はその施設の責任者の方と施設専属のケアマネさん、そして今までお世話になったケアマネさんがみえて契約を済ませました。

f:id:kisaragikyo:20170926160623j:image

現在母は週2回そちらに通所し、気の合う友達が出来て楽しそうです。

「お喋りが出来て、お昼ご飯を頂いて、マッサージまでして貰える。こんなに楽しいところなのに、何でもっと早く行かなかったんだろう…」
…って、あなたがイヤだって言ったからじゃない!

これからも認知症は進行するけれど、今は暫しの平安。
肩の荷がちょっぴり軽くなったと感じている私です。

アタフタ介護記 その1

お久しぶりです。きさらぎです。
f:id:kisaragikyo:20170925160913j:image
認知症が進行した母の介護で実家に帰ってから、3ヶ月近くが経とうとしています。
母は一人で生活できるレベルではなく、とても放って置けません。
こちらに居る間、大勢の人と話をし、母の行く末について考えました。
母の言動にただ呆然とし、私一人ではどうしていいのか全くわかりませんでした。

私と妹はそれぞれ離れた土地で暮らしていて、ずっと面倒を見ていく事は出来ません。
一体どうすればいいのか、思い悩む日々が続きました。

そんな私に助け船を出してくれたのは、同じ市内に住む叔父と叔母でした。
二人は母の弟妹で、それぞれ介護経験があります。高齢ですが二人とも健康。
私は遠慮なく頼る事にしました。

叔父は事あるごとに家に来て、母に「子供の生活を犠牲にしてはいけない。早く施設に入りなさい」と説得してくれましたが、元々頑固でプライドが高い母は、脳の検査を受けることすら承知しない。
「この人が首を縦に振るのを待っていたら何も始まらない。あなたがどんどん決めて実行しなさい」
という叔父の助言に背中を押され、専門の病院に予約を入れ、母を連れていきました。

詳細な検査の結果、母はアルツハイマー認知症である事が判明。進行を遅らせる薬の効果も期待できない程脳の萎縮が進んでいる、という診断でした。

母を別室に置いて結果を聞く事も可能でしたが、私ははっきりと自分の状態を母が知ることが大事だと判断したのて、敢えてそうしませんでした。

医師によれば、一人で置けば身体の危険だけではなく、詐欺の被害に遭って財産を失う可能性もある為、強引にでも施設への入所を考慮した方がいい、という事でした。

CTスキャンの画像はあきらかに脳の萎縮を表し、質問によるテストの結果は驚くほど悪く、普通の状態ではありません。

「知っている野菜は?」という質問には、二つしか答えられず、後で母が言っていたのは、時計を描いて数字を入れるというテストでは、12と6しか入れられず、他は目盛りの幅が広いところと狭いところが出来て全く書き込めなかったそうです。

自分は認知症なんかではない、と言い張っていた母は、検査と医師の言葉で漸くその事実を受け止めてくれました。

病気が思った以上に進行していたのはショックでしたが、母が自分の状態を認識した事で、やっとスタート地点に立てた気がして、ホッとしました。

f:id:kisaragikyo:20170926063026j:image

まだ介護に足を踏み入れたばかりの私が介護について書くのはおこがましいのですが、母に振り回されてアタフタしながらなんとか踏ん張っている記録を残しておきたい、と思います。
暫くはこのような記事が続きますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。

キンカンの花と、謎の穴ボコ

庭にキンカンの花が咲いていました。
大きさは2センチ位です。
f:id:kisaragikyo:20170804161307j:image
近寄ると柑橘系の甘い香りがします。
f:id:kisaragikyo:20170804161338j:image
母の命令で、キンカンの甘露煮を夜中までかかって作ったことを思い出しました。
母は覚えているかしら。

数日前から、勝手口を開けると小さな穴が空いていて、何だろうと不思議に思っていました。
穴の数は毎日増えています。
f:id:kisaragikyo:20170804162039j:image
ある朝それが何か判明しました。

外に出たとたんに、ビビビと蝉が飛んできて、扉に脱け殻がくっついていたのです。
蝉の穴だったのか…。
成虫になるのに、5年位かかるのかな。
ずっとここに眠って居たわけか。

私の5年前はどんなだった?
あまり成長していないのは確かだ。

f:id:kisaragikyo:20170811155202j:image
空の真ん中に、東京行きの飛行機が赤い軌跡を残して行きました。

私の為に

駅前に買い物に出たついでに、数時間を自分の為に使いました。
勿論、母にはお昼ご飯を用意して。

引き落とし口座の変更のため、銀行を2軒回るともう汗だく。

駅ナカにある抹茶スイーツ専門店の抹茶白玉かき氷で、しばし休憩。
ボリュームありすぎるけど、食べきれる?
……勿体ないけどちょっと残しました。
f:id:kisaragikyo:20170802205526j:image

お昼までゆっくり買い物をしながら街ぶら。
母のパジャマと私のTシャツを買いました。
実は、こんなに長く滞在するとは思っていなかったので、持ってきた衣類はもうヨレヨレなんです。

母は、サッカー生地のパジャマを気に入り、早速着て寝ています。もう一つ買えばよかった!

お昼は《たくみ割烹店》にしようと、出る前から決めていました。
f:id:kisaragikyo:20170802212134j:image
今日は松花堂弁当
メインは鰯のムニエル(右下)と棒々鶏(左上)。
イガイのお吸い物付き。
このお弁当もボリュームたっぷりです。
f:id:kisaragikyo:20170802212425j:image
お腹一杯だけど、まだ帰らないよ〜。
食後のコーヒー付きだから。
これで870円って。安っ!
f:id:kisaragikyo:20170802213055j:image
コーヒー、ヨーグルト、フルーツの中から選べます。
ガムシロップとミルクのポット、雰囲気あります。

お店の中はこんな感じ。
f:id:kisaragikyo:20170802213450j:image
f:id:kisaragikyo:20170802213518j:image
f:id:kisaragikyo:20170802213546j:image
ここは、吉田璋也の民芸運動の流れを汲む、まるっきり昭和レトロな場所なんです。
お隣は、民芸品のお店《たくみ》。
食器類を中心に、素敵な民芸品がぎっしり。
f:id:kisaragikyo:20170802215458j:image

鳥取砂丘コナン空港》行きバスが停まっていました。
2年前からこんなに長い名前になったんですが、その前は《鳥取空港》という分かりやすい名前でした。
何でもくっつければいい、って言うもんでもなかろうに…。
f:id:kisaragikyo:20170802215926j:image

忙しく、楽しく、私の半日が過ぎようとしています。
この時私の心を占めていた君の名は…哀愁。
京都に帰りたいな〜。